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これからの博多の文化を世界に広げる博多の“匠対談” 博多ラーメン職人 × 博多筆師

〔第二回〕博多ラーメン職人×博多筆師

博多一幸舎 店主
吉村 幸助さん

福岡市生まれの42歳。2004年に、博多一幸舎を創業。小料理屋を営む母親の料理を食べて育ってきたせいか、子どもの頃から料理が好きでよくつくっていた。趣味は「味の研究」と根っからの職人気質。

博多筆師
錦山亭 金太夫さん

日本経済新聞・西部版の夕刊に連載中の「金太夫の博多有情」は1990年から続く人気のコーナー。筆文字と絵画が融合した心あたたまる作品は、目にしたことがある人も多いはず!

ひと目で金太夫さんの文字とわかる味わいある世界観

屋台、博多祗園山笠など博多の風物を情緒豊かに描いた金太夫さん初の画文集

吉村
福岡の街を歩いていると、金太夫さんの筆文字をよく見かけます。文字なのに絵のようにも見えて面白いなぁと感じていたんです。人気飲食店の看板やのれんに使用されている印象が強いですが、めんたいぴりりのロゴも金太夫さんの作品ですよね。

金太夫
最初、制作サイドから声をかけていただいた時は、めんたいぴりりがここまでロングヒットを続けるとは思わなかったので驚きました。

吉村
筆文字の世界に入ったきっかけは何だったんですか?

金太夫
中学生の頃から歌舞伎文字や相撲文字、落語そして寄席文字に千社札が好きで、遊び感覚で真似していたんです。高校卒業後、筆文字を中心としたグラフィックデザインの世界に飛び込んだのですが、西島伊三雄さんの兄(西島荒太郎)さんを通して知り合った西島伊三雄さんから「グラフィックの勉強をしたいなら、私の絵を真似なさい」とおっしゃっていただいて。

吉村
心に余裕がないと発言できない言葉ですよね!?

金太夫
「えっ、いいの?」って普通思いますよね。でも西島さんは「どんなに真似したって、お前の絵はお前の絵にしかならないから」と言い切ってくださって。そこから独学で文字と絵を学び始めました。

吉村
僕も独学で一幸舎のレシピをつくったのですが、味わいややさしさが伝わる金太夫さんならではの絵や書体を自分のものにするには、どのくらい時間がかかったんですか?

金太夫
「この字は、金ちゃんの字ばい」と伝わるようになるまで、10〜20年はかかったと思います。ひらがなやカタカナ、漢字1文字1文字を自分流の書体にして習得するには時間が必要。書の世界は正解がないんです。僕の字は僕が師匠。自分が描いた字を見て「これ、好きだな」っていう気持ちを大事にしています。

吉村
オリジナルに正解はないですよね。僕もラーメンづくりは技術よりも想いが大切だと思うし、好きであることが一番大事だと思っています。

博多の街に色濃く残る人情から助けられている

吉村
箕島(現在の美野島)で生まれ育ち、19歳から現在まで博多祗園山笠の土居流に参加していると伺いましたが、生粋の博多っ子である金太夫さんから見て、博多はどんな街ですか?

金太夫
人に干渉してくる世話好きが多いけど(笑)表裏一体で、愛情や人情を持っている人が多く住む街、かな。飲食店からロゴ制作の際に声をかけていただいたり、日経新聞で連載をいただいているのも、原点はすべて山笠でいただいたご縁。山笠に参加していなかったら今頃どうなっていただろう?と思います。

吉村
博多の街に残る人情や愛情が、現在の金太夫さんを育んだんですね。金太夫さんが描く筆文字や絵は、博多の街が生んだオンリー1の世界。コミュニケーションから生まれる愛情や感性が金太夫さんという人や文化をつくったのだと知って、文化は継承だけでなくつくることができるのだと改めて学びました。ありがとうございました。

腎臓の調子が悪くなって以来、ラーメンを食べることはほとんどなくなった金太夫さんだが、『元祖赤のれん』のラーメンは子どもの頃家族と食べていた思い出の味で、今でも一番好きなのだそう。対談をしたこの日、金太夫さんの話に心を打たれた吉村さんは思わず「今度、僕にもラーメンをごちそうさせてください!」と話しかけていた

「昔は近所の人が赤ちゃんの名付け親になったり、美野島橋から(KBC前の)競艇場が見えたり風情と人情があったけど、福岡がこれ以上都会になると世知辛い世の中になりそうでちょっと寂しいよね」と金太夫さん
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