【福岡肉本2025】佐賀の里山から 佐賀牛の未来を切り拓く 『千里庵』 [1/2]
今夏10周年を迎えた佐賀・神埼の『千里庵』。店主夫妻が二人三脚で歩んできた軌跡と、佐賀牛や一頭買いへの熱い思いを、今あらためてじっくり伺いました。

信じた味を胸にして里山で始めた新たな挑戦
焼肉店で修業していた頃から、いつか自分の店を持ちたいと考えていました。結婚を機に夫婦で独立し、地元である佐賀県神埼市に『千里庵』を構えたのが2015年8月のことです。開業当初は決して順調ではありませんでしたが、不安で押しつぶされそうな日々の中でも、自分たちの信じる味を届けたいという気持ちは揺らぎませんでした。「この場所でやる」と腹を括ったからには、前を向いて進むしかないという思いでした。
女将である妻は、もともと美容師として働いていましたが、独立にあたって一緒に店に立つことを決めてくれました。最初の頃は、営業が終わるとその日の接客や提供内容を振り返り、どうすればもっと喜んでもらえるかを話し合い、試行錯誤を重ねてきたものです。
最初の3年ほどは、お客様がゼロという日も少なくありませんでした。地域の皆さんに知ってもらうため、地道にチラシを配ったり、SNSで発信を続けたりしていました。転機になったのは、影響力のある佐賀の飲食店関係者が『千里庵』を紹介してくださったSNSの投稿でした。その投稿が広がるにつれて来店が相次ぎ、少しずつ認知が広がっていきました。
一頭買いだからこそできる部位ごとの個性と魅力の発信
私は佐賀で生まれ育ち、佐賀牛には特別な思い入れがあります。開業当初はA5ランクの中でも10番以上といった高評価の肉を選ぶことに力を入れていましたが、お客様の声に触れるなかで、評価の高さとは別に、美味しさの感じ方にも多様な視点があることを意識するようになりました。品評会に足を運び、生産者の方々と直接話すなかで、佐賀牛の魅力をより深く実感するようになったのです。サシが入った部分はサシがある部位らしく、赤身は赤身らしく。部位ごとの持ち味をきちんと味わえる牛こそが理想的だと考えるようになりました。現在は「雌牛らしさ」を重視し、香りや肉質に対して自分なりの基準を持って厳選しています。どの牛を選ぶかという判断は、目利きだけでなく、誰が育てた牛なのかという視点も大切です。信頼できる生産者との関係も深めながら、佐賀の牛を佐賀の店が責任を持って届ける姿勢を貫いています。
ご来店いただけるお客様が増えてきたことで、ある時期から「一頭買い」へと移行することができました。同じ個体でも部位によって味も質感は大きく異なります。一頭丸ごと仕入れ、状態を見ながら、その特性に応じた提供の仕方を組み立てています。部位ごとに厚みや切り方を調整し、コースの構成にもリズムを持たせることで、食べ手にもその違いを感じていただけるよう意識しています。現在、カット方法は100通以上あり、決して効率的とは言えませんが、それが私たちのやり方なのです。希少部位や名もない部位にも着目し、最後まで飽きさせない流れを構築しています。
佐賀牛を一頭買いして提供している焼肉店は、佐賀県内はもとより、全国的にもごくわずかです。私たちは年に3回は競りにも足を運び、数字だけではわからない肉の状態を自分の目で確かめて仕入れています。お客様にはサシが入った部位から赤身まで、佐賀牛の多彩な魅力をしっかり感じていただけるよう、厚みや薬味の組み合わせなども工夫しながら、提供方法を日々磨いています。焼肉はただ焼くだけではありません。どう焼いて、どう味わうか――その体験の精度を高めていくことが私たちの仕事なのです。

次代へ紡ぐ新たな挑戦 広がる佐賀牛の可能性
ありがたいことに、これまでANA(全日空)社の会報誌『翼の王国』をはじめ、さまざまな媒体でご紹介いただく機会にも恵まれました。流通が少ない雌牛の中から、自分たちの基準で選び抜き、提供スタイルにまで落とし込んでいる店は全国的にも多くはありません。決してアクセスが良いとはいえない立地でありながら、それでも足を運んでくださる方がいるという事実は、日々の励みでもあり、大きな責任でもあります。
一方で、山あいの立地ゆえに人材の確保が難しく、営業日を安定して確保することにも長らく苦労してきました。そんな中、福岡や東京から足を運んでくださるお客様が増えていたこともあり、「ならば自分たちが出向こう」と、福岡進出を決意。2024年2月、福岡・今泉に『博多肉処 千里庵』をオープンしました。さらに、2025年7月には、福岡・清川に『牛まぶし』という新たな業態を立ち上げました。経産牛と佐賀牛を使い、ひつまぶしのような構成で提供するこの新業態は、焼肉とは異なるスタイルで佐賀の牛の魅力を伝える挑戦です。営業は昼限定。調理の再現性に配慮することで、限られた人員でも安定した運営を可能にしました。複数店舗展開を視野に入れた設計で、経産牛の有効活用という観点からも、循環型の食のあり方を意識した取り組みです。タレや薬味もゼロから開発し、食べ方の変化も楽しんでいただけるよう工夫を凝らしています。実はこの『牛まぶし』という業態が生まれた背景にも、職人不足という飲食業界全体の課題がありました。誰が調理しても品質が保てるレシピや工程を整えることで、職人の経験に依存することなく、一定の美味しさを安定して提供できる体制を実現しています。
今後は、「焼肉店」だけではなく「飲食企業」としての成長をめざしています。まずは『牛まぶし』業態を主要都市に展開し、千里庵グループとして、年商10億円という目標を掲げました。商標や専用の器、提供の仕組みも整え、佐賀牛の価値を広げる足がかりにしたいと考えています。規模を広げること自体が目的ではなく、どの店でも同じ品質と思いを伝えられる体制を築くことこそが、私たちの目標です。それが結果として佐賀牛全体の価値を高め、生産者の喜びにもつながると信じています。焼肉という枠にとらわれず、「佐賀牛をどう伝えるか」という視点を持ちながら、これからも柔軟な挑戦を続けていきます。

株式会社千里庵 代表取締役 竹本 豊さん
1982年8月13日生まれ。学生時代を福岡で過ごし飲食(焼肉)の面白さに魅了され飲食業を志す。大学を卒業後は某焼肉店に勤務をして3店舗を経験し研鑽を重ねる。2015年に『佐賀肉処千里庵』を開業。2023年に株式会社千里庵設立。その後、『博多肉処千里庵』『神の牛まぶし』を開業。2025年に創業10周年を迎える

ご主人の竹本豊さんと共に『千里庵』を開業された奥さま。「主人の夢であった焼肉店を夫婦で創業し、これまで二人三脚で歩んで参りました。現場では女将として大将である主人のお肉に対する想いを代弁しお客様に佐賀牛の美味しさをお伝えした日々。近年は現場に立つことはほとんどなくなりましたが、初心を忘れずにこれからもお客様へ千里庵の魅力をお伝えできたらと思います」
