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【インタビュー】『パラダイス・ネクスト』
半野喜弘監督「創作ということに関して、間違いはそもそもない。間違いは個性。これが一番大事なんです」


妻夫木聡と豊川悦司という日本を代表する俳優2人を主演に据え、オール台湾ロケで撮影された映画『パラダイス・ネクスト』。
世間から逃れるように台北で暮らすアウトロー・島(豊川)と、飄々としながらも重大な秘密を抱えて台北にやってきた牧野(妻夫木)が出会い、物語は2人の逃避行を台湾の空気感ごと閉じ込めたように、ドキュメント・タッチで映し出される。そこには観客へ向けた親切な説明や過剰な言葉はなく、“感じてもらいたい”という作り手の気持ちが透過されているような、そんな美学まで感じられる現代の邦画の中では稀有な存在の作品だ。

今回、音楽畑出身である半野喜弘監督に話を聞いた中で、最も繰り返し出てきた言葉は「自由」。創作の前提でありながら、今、多くの場面で失われつつある自由さを取り戻そうと果敢に挑んだ本作は、観客になにか気づきを与えてくれるはずだ。
 

映画会社の人から「これ、完成したら4時間で、予算は最低5億です」と言われて(笑)

—全編台湾で撮影するというのは日本で映画を撮る時とは違う難しさやハードルがあると思いますが、いかがでしたか?

半野:まず一番は言語の問題があるんですが、台湾の人たちは中華系の民族ではありますが、どちらかというと日本人のメンタルに近いからやりやすさはありました。ただ、かなりゆるいですね。鹿児島および沖縄の人をさらにゆるくしたような(笑)。ですから、東京でなにかをするように分刻みで物事が進むことは当然ないし、いろんな意味でのトラブルは凄く多いんですよね。
たとえば撮影のこのシーンの時にはこれを用意しておいてくれと言って現場に行ったらない。代わりを誰かが用意するわけでもなく、撮影が止まるわけでもなく、「どうしよう〜」というちょっとゆるい感じのまま「じゃあ、そのままやってみよっか」という。日本の現場だとそれがないとなったら、上の人間が「誰だ! 担当は!」ってなるんですけど、そういう感じもなく。
 

—そんな環境下でも、改めて感じた台湾の魅力はありますか?

半野:今回の映画でもわざとその場所を選んだということもありますが、やはり西洋と全く違うアシンメトリックですかね。西洋って建物やデザインとか、わりとシンメトリックじゃないですか。でも台湾ってその真逆にあるアジア的な、バランスが全く取れていないことがバランスになる。特に、台北っていう町はそれが顕著で。今思えば、僕たちが子どもの頃の日本もそうだったんです。通りの広さもバラバラで、変に店がせり出していたり。それが、法的な規制によって整理されていくんですけど、整理されていない都会という意味での雑然とした感じが一番の魅力だと僕は思います。人口のジャングルの中にいるみたいな生命力があるんですよね。そこに人がいて、なにをしているかはわからないけどエネルギーが充満していて…。いわゆる西洋的な大都市や東京とは全然違うエネルギーの発し方。その熱量が一番の魅力ですね。自由な感じがするんです。

 

—本作は映画として成り立つまでにかなり時間を要したそうですが。

半野:ある俳優と’04年頃によく2人で飲んでいたんです。ある日、酔っぱらっていた時に「半野さん、映画を作りましょうよ」「おう、作ろうぜ」と話して。その話の中で場所が台湾に決まり、脚本を書き始めたんですが、意見の食い違いでケンカになってしまいました。その時に、彼が「僕は俳優でこれからもっと頑張って主演でやれるようになりますから、半野さんは脚本と監督をしてくださいよ」って言ったのが最初のきっかけです。そこから脚本が完成するまでに約3年の月日が経ちました。その間に彼は本当にブレイクして。そこで、この脚本を映画会社に持って行ったんです。
でもその脚本は今の倍くらいの量があって、内容も違って群像劇のようなものだったんです。すると映画会社の人から「これ、内容は凄くいいと思います。ただ、完成したら4時間で、予算は最低5億です」と言われて(笑)。周りのプロデューサー関係の仕事をしている友人に聞いてみても、「今の日本の状態で、オリジナルのストーリー、海外撮影、言語も3カ国、群像劇、しかも監督が過去に短編すら撮ったことがないって、絶対無理だよ」と言われました。それが悔しくて他の脚本も書き始めたんです。それから3〜4年ぐらいですかね、妻夫木くんとご飯を食べている時に「一緒になにかしたいですね」という話になり、ふと自分で書いた脚本を思い出したんです。主人公のメモ書きには、「表面的にはヘラヘラしているけど心になにか抱えていて、ズルそうに見えるけどチャーミングな笑顔でみんなが許してしまう」ということを書いていて、「あ、目の前にいる…!」と思って(笑)。
もう一人の主人公は豊川さんをイメージして脚本を作っていたことを友人伝いではありますが、事務所の社長さんに伝えて、脚本を送りました。すると「今の日本の映画界の常識で言ったら、お金は1円も集まってない、スタッフも、撮影がいつかも、配給も決まってない。これで豊川を出したいって言う人、いないんだよね」と言われて(笑)。でも、脚本を凄く気に入ってくれて「豊川さんに主人公やらせる」と言ってくださり、主人公の2人が決まりました。そこで台湾のプロデューサーに「妻夫木くんと豊川さんがやるって言ってて、事務所からもOKいただきました」と伝えて、この企画が本格的に走り始めたんです。2人はメジャー俳優なんですが、映画の成り立ちとしては自主映画的だと思っています。
 

間違ったことをしているが故に、他の映画と違う。その間違いを素晴らしく良い映像で撮れば存在価値がある

—あまり説明らしい描写を入れずに観客の想像力を掻き立てるような作品ですが、そのような作りにした理由は?

半野:僕自身、映画音楽をやっているから、日本で映画を作る大変さをわかっていて。監督はみんな「もっとこういう映画をやりたいんだ」と言っているけど原作がないと事が進まないとか、キャストはこういう人は入れてくれとか、それはもちろんそうなんですが、僕たちはたまたま『パラダイス・ネクスト』を撮れるようになったからこそ、普通だったら「これはダメだ」と言われることもトライしてみたかった。ストーリーを強固にするために映画を作ることが基本ですが、それと同時に映像の質感、色、音…そういったものをちゃんと情報をストーリーテリングするために捨てたりするわけじゃないですか。
たとえば、本当は1日に3シーン撮らなければならない場合、時間の制限によって思っていた撮り方ができないことがある。ストーリーのためにそこを捨てるのはわかります。だけど、納得や共感をしてもらえる映画ではなく、同時にその空気の中に居続けられる100分みたいな映画をやってみたかった。抽象的で音楽的なんですけど、そういうものにチャレンジしてみたいという思いが凄くありましたね。
 
—冒頭の会話のない長尺の食事のシーンなど、まさに凄く贅沢な撮り方で空気感が伝わってきました。

半野:あのシーンは他の作品だと1/3ぐらいの長さになると思います。「あの場面は撮っている意味がない」と評論家に怒られましたが、僕らもそのことはわかっていました。本当は短いカットも撮っていたんです。無意味に長いなと思ったかもしれませんが、あれ、実は豊川さんが妻夫木さんに対しての「お前、誰だ?」というたったひと言のセリフを忘れていたんです。本当だったら、席についてしばらくして「お前、誰だ?」と言うはずだったんですけど、なんも言わないんですよ。それで妻夫木さんもご飯を食べ終わってしまい、テーブルを蹴ってみたら豊川さんがグッと机を戻して(笑)。監督はカットをかけないし、ついに妻夫木さんに「島さん、なんとか言えよ」と言われて、豊川さんが思い出して「お前、誰だ?」と言ったという(笑)。
通常だったらここまで引っ張らないのが、この映画の象徴のような気がして、プロデューサーから反対もあったんですけど、初めて見知らぬ男に会ってお互い探り合っている、片方は無口な男だから一切相手にしようとしないということから考えたら、まさにそのままというか。タッチしたい牧野、でもセリフを忘れているから全く相手にしない島というのが、芝居ではないけど本当の意味での2人の空気感に一番近かったのが、あのミステイクのような気がして。だから、あんなふうにめちゃくちゃ長いシーンになったんです。映画のセオリーからしたら、牧野が言う「俺はあんたの救世主だよ」っていうセリフ、あれは絶対アップで撮るはず。でも僕らの映画は「大事なキーワードだからと言って、アップでいくのはどうか?」という話になって。後半で「だから言っただろ、あんたの救世主だって」ってセリフがありますが、フリをアップで撮っていないからきっと誰も覚えていないと思う(笑)。
映画が伏線を張って回収していくことは王道としていいと思いますが、僕はそれを否定しているわけではなくて、そうではない映画もあるという自由度もいいと思っているから、この映画はそれでいいのではと。王道からしたら間違ったことをたくさんしている。でも、間違ったことをしているが故に、他の映画と違う映画であればそれが良くて。だけど、その間違いを素晴らしく良い映像で撮れば存在価値があると僕は思いました。だから光と色とカメラには凄くこだわりました。
 

僕たち作り手側の自由をちゃんと映画の中に盛り込みたい。それは生きることの自由のようなもの

—豊川さん、妻夫木さんと話し合われたことはありますか?

半野:今回、このフックがここで回収されてさらにこんな謎を生んで…と話が進んでいくわけじゃないですか。その芝居になる手前のリアリティがあると思うんですよね、躍動感というか。僕たちは普段そうですけど、話をしながらなにかを探りながら次の言葉を出すのが本当の生き様なんですけど、彼らが持っている躍動感や一瞬の迷いが失われない内にOKテイクを出したい。それは俳優の2人とも話しました。9割はセリフも動きも決まっていましたが、一発目でOKテイクを撮りたいからテストで撮る時には「芝居はしなくていいから」と伝えて、リハーサルは凄くラフな状態で行ないました。彼らはテクニックがあるが故に繰り返すことでどんどん芝居になっていく。僕たちが今回やりたいのは画的には凄く作りこまれた美しい色を撮るんだけど、そこにいる人間は物語がないが故に生々しく存在していないと映画として観られない気がしたんです。人物までが作りこまれたハリボテみたいだと、全部虚構に観えてしまうので、生々しさを見失わないようにということが役者さんと一緒に作る一番のチャレンジではありましたね。あの2人だからこそできた映画だと思います。ワンテイクで終わったところもたくさんありました。役者とスタッフに本当に力があったので無茶ができたと思います。
 

—信頼感あっての挑戦ですね。作品全体を通して感じてもらいたいことはなんでしょう?

半野:僕たちは今回、この映画を規格外の方法で立ち上げて、規格外の方法で撮影をしました。それがなにかと言ったら、僕たち作り手側の自由をちゃんと映画の中に盛り込みたい。僕たちにとって、それは生きることの自由のようなもので。間違いがあったとしても、間違いを正すことよりも大切な自由が創作や恋愛にはあると思うんです。
創作ということに関して、間違いはそもそもない、間違いは個性だ、これが一番大事なんだと思います。僕たちが感動できる、高揚できる間違いはなんなんだということを見つけることが、僕たちにとっての撮影でした。それがなにかというと、自由なんです。映画を観てもらった時に「なんとなく自由な風が吹いたね」って感じてもらえたら一番嬉しいです。説教臭いことが全くないんです。それが今の日本の社会にとって一番大事だと思っていて。
原発や政治の問題をリアルな映画にすることは、社会的なこととして凄く意味があることだと思いますが、一方で僕たちのような芸術やエンターテインメントで言うと、そこで求めるものはなにかというと閉塞感から自由になりたいということなんです。台湾の自由な空気を感じてもらって、生き方が楽になって、自由な風がちょっと吹くぐらいのことがあれば、僕は嬉しいなと思います。
 

—閉塞慣れしてしまっている日本人からすると、その自由さはカルチャーショックな部分もあるかもしれませんね。

半野:馬鹿なことをすることも自由な部分があるし、無責任に生きることも良くはないですけど自由になれることがあります。自分で決断をすることも、凄く自由なことでもあります。これができないから人は抑圧された気分になるわけで、自分で決めるということは一番の自由なんですよね。
主人公の彼らが間違っているかもしれないし、正しいということも言いませんが、彼らが最終的に自分たちの生き方を決めるというのは、彼らが行き着いた人生の自由だと思っていて。その象徴として、自然や海のある台湾という島が2人を見ているイメージなんです。
 
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■映画『パラダイス・ネクスト』
http://hark3.com/paradisenext/

KBCシネマ/上映中〜9月13日(金)終了
小倉コロナシネマワールド/9月13日(金)〜 26日(木)
※その他劇場の公開日は下記参照
https://theaters.jp/1111#prefarea6

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