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【インタビュー】KBCシネマにて9/18より上映! 映画『ふたりの傷跡』野田英季監督×萌映(クレナズム)

福岡発の4人組バンド・クレナズムが劇伴を手掛け、ボーカル&ギターの萌映が出演も果たした映画『ふたりの傷跡』が、KBCシネマ1・2にて上映される。コロナ禍以降の社会の閉塞感を映し出し、特に学校という仲間意識の強い空間で葛藤を抱えながら生きる若者たちの姿を通して、それでも未来への期待と光を感じさせる希望と再生の物語だ。

自身の過去の体験も反映したという野田英季監督、そして今作が演技初挑戦となったクレナズムの萌映に話を聞いた。

ふたりの傷跡 / 9月18日(月・祝)よりKBCシネマ1・2にて上映
※9月24日(日)まで

 

【STORY】
一緒にバンド演奏しようと話していた親友のハル(萌映)を文化祭前に自殺で失い、自己嫌悪を抱きながら生きる高校生の木崎ミナ(八木みなみ)は、転校生のドラム演奏者の黒田ハルカ(佐久間遼)とハルが遺した未完成の楽曲を見つける。やがて、
ふたりは未完成の楽曲と共に当時のハルの心に触れていく。
ハルが遺した未完成の楽曲たちに導かれるように文化祭への出演も決まり、ミナとハルカの思い出の夏が始まろうとしていたが…。

 

野田英季監督
萌映(from クレナズム)

 

コロナ禍を生きてきただけで、
みんな偉い。

自分をもっと褒めてほしい――野田英季

―今作の成り立ちを聞かせてください

野田:少しセンシティブな内容になってしまうんですけど、先進国の中で、若い世代の方が自ら命を絶ってしまう数が日本は世界で一番多いそうで、「なぜ若い人が希望を失うような世の中なのかな」とよく考えていたんです。そして、作家で監督もやっていた私の大学の知人も、自分で命を絶ってしまって。その方は人柄もすごく明るくて、本当にみんなを引っ張っていくようなリーダー的な存在の方だったんです。でも、真面目すぎた部分とか正義感もあったのか、遺言を残して、自ら亡くなってしまいました。そのことが僕の中で衝撃だったんです。ちょうど今の日本の現状とその人の死が結びついてしまって、自分の中で吐き出したいというか、向き合いたいと思いました。その人の死がこの作品を作るきっかけにはなっていまして、だからオープニングに登場する言葉で「君に捧ぐ」という表現をしているんです。それは彼にもそうですし、映画を観てくれる皆さん、生きている人に向けてでもあります。ちょっと曖昧な表現なんですけど、「捧ぐ」って言葉は亡くなった方に捧げるというイメージが強いですけど、あくまでも前向きな意味で「捧ぐ」という表現にしたつもりです。重い話ですが、友人の死に前向きに向き合い始めて、それがこの作品を作るきっかけとなったんです。

 

―クレナズムの音世界をそのまま映像化したような空気感も印象的でした。クレナズムの音楽にインスパイアされた部分も大きいのでしょうか?

野田:そうですね。クレナズムさんに主題歌と劇伴をやってもらうと決まって、一度クレナズムさんの楽曲を全部聴いた上で製作しました。「このシーンはあの曲」という感じで、色々な楽曲の雰囲気を各所に散りばめさせていただきました。楽曲を聴きながら脚本を途中で書き直した部分があったりもしましたね。たとえば、クレナズムさんの『積乱雲の下で』はミュージックビデオで女の子が2人出てきますよね。そういうところも影響を受けているんです。

 

―萌映さんは映画出演やバンドでの劇伴など、新鮮なチャレンジが今回たくさんあったと思いますが、振り返ってどう思いましたか?

萌映:まず、クレナズムの結成当初から「映画の主題歌をやらせてもらいたいね」と話していたぐらい、一つの目標だったので、それが叶ったということがすごく嬉しかったです。また、映画の主題歌だけじゃなくて、私自身が出演するというまったく想像がつかないオファーも来て驚きました。しかも重要な役だったから、初めてだけど大丈夫なのかな、務まるのかなという不安もありました。でも、もともと表現することが大好きで、昔から絵を描いていたり、それこそ歌っていたり、いろいろと生み出すことが好きなので、すごく楽しめました。

―ドキッとする描写もある影のある役で、語られていない部分もきっとたくさんあったキャラクターだと思いますが、そこをどう解釈して表現しましたか?

萌映:そこもすごく難しかったんですけど、演じたハルという女の子と私は結構似てる部分があって。たとえばインターネットで音楽を発信している点。私も昔、「歌ってみた」というジャンルで投稿していたんですけど、「あまり人に知られたくない」みたいな気持ちもあって、ちょっと内気というか、決してめちゃくちゃ明るいキャラクターではないというところが似ていたんです。ハルというより、「自分だったらどうするだろう?」という気持ちを意識して演技させてもらいました。

 

―完成した映画を観て何か感じたことはありますか?

萌映:すごくシンプルなんですけど、「映画だ!」って(笑)。映画に自分が出ているっていうのは今まで人生を生きてきて一度もなかったので、そこはとても感動しましたね。劇伴も作らせていただきましたし。私以外にも主演の女の子たちがいて、クラスメイトの子たちがいて、皆さんの演技の入り込み方にものすごく影響を受けていて、皆さんがいたから自分もここまでやりきれたんだろうなというのは思いました。

 

―野田監督は映画が完成して、先ほど話されていたような自分にとって大切だった人への感情や、喪失感との向き合い方、考え方に何か変化はありましたか?

野田:答えが見つからないまま映画を撮り出して、撮り終わった後に答えが見つかったり、感じ方が変わったりすることは、今まではそんなにはっきりなかったんですが、今回の『ふたりの傷跡』はそれが結構明確にわかったというか。亡くなった方との向き合い方というのは、悲しみが大きすぎてそんなに払拭ができないんですけど、傷跡というものが必ずしも悪いものじゃないということに気づいたんです。そういう捉え方の変化はありました。

 

―失ってしまった人に対して、「自分の胸の中ではずっと生き続けている」という考え方があると思うんですけど、果たしてそれが幸せなことなのか、それともある種の呪縛のようなものなのか、いろんな解釈があるなと思って、その難しさも感じました。映画の中でミナは、もう会うことができないハルの存在に対して、どちらかというとやっぱり苦しみを感じていたのかなと思います。

野田:そうですね。オープニングと途中と、そして最後に廃バスにハルが一人で立っているシーンがあります。夢の中とかでも出てくるんですけど、あの表現は、ミナが自分のせいでハルを失ってしまったと、自分を責めているという表れです。バスはもう動かなくなり、ハルが立っている道の先へはもう進めないという表現なんですね。それが最後、バスより先の道に進むというところで、自分を責めている気持ちがだいぶ和らいだということなのかなと思っているんです。人に先立たれ、残された方は自分を責めてしまう人が多いと思いますが、そういう方には自責しないでほしいと思います。

 

―今作は学校のシーンが多く登場します。教室の中で「なんであの子だけあの髪色が許されるの?」といった、人と違うことに対する攻撃や同調圧力などの描写がありましたが、お二人は自身の学生時代を思い返して感じる部分はありましたか?

野田:身体的に障がいを持った人や、ひまわり学級というところに入っている人が身近にいらっしゃった方も多いと思いますが、僕はその人たちのことを考えましたね。僕は結構ひまわり学級の方と一緒にいて、車椅子を押したりとかしていたタイプだったので。また、目に見えない学力の差とか、それぞれ何が苦手だということがありますよね。今でこそアスペルガーなどいろんな言葉が出てきていますけど、そういうものがかつては理解されていませんでした。僕は今32歳なんですけど、当時は理解がない時代だったのかなと思って。そういう意味ではやはり多数決でいい・悪いが決まってしまう傾向があったので、多数派と違う、身体的に違う、何かができないというだけで、「遅れ」と表現されたり、標的になったりという環境はありましたよね。

 

萌映:私は塾での体験を思い出しました。中学生の頃まで通っていた塾では、問題を間違えると、間違えた数だけちょっと定規で叩かれるという罰があったんです。私は勉強を学びに行っているはずなのに、その罰のせいで勉強への苦手意識が全然取れませんでした。定規を当てられる時もみんなの前でやられるんですよね。私はその塾に対して苦手意識がありすぎて、勉強も楽しめず、ずっと成績が最下位だったことがあって。その中でどんどん友だちはレベルアップしていくけど、自分だけ全然環境にもなじめないし、人前でずっと叩かれてばっかりだし、「これはおかしいんじゃないか」って思っていた時期はすごくありましたね。

 

―その状況から、どう抜け出しましたか?

萌映:結局その塾が変わることはなかったんですけど、受験の時期ぐらいに、自分がやりたいことを見つけたんですよ。私はすごく絵を描くのが好きだったから、美術の高校に行きたいなって思って。その高校の入試はテストじゃなくて面接でした。塾で勉強しないといけない状況から脱せたので、気持ちがすっきりとしましたね。

 

―時にはその環境から思い切って脱してしまうことも大事ですね。音楽についても聞かせてください。今作はクレナズムの楽曲との親和性が高く、映画自体がこれまでのクレナズムのディスコグラフィともリンクするような世界観でした。たとえば、私は映画を観ていてクレナズムの『わたしの生きる物語』を思い出しました。

萌映:まさにおっしゃっていただいた通りで、もともとこの映画の仮タイトルは『わたしの生きる物語』だったんですよね。それぐらい、すごく映画と親和性があった楽曲だったし、今回の主題歌も脚本をもとに書かせてもらっているんですけど、「こうした方がいいんじゃないか」と映画に寄せる感覚で書いている感じはなかったですね。この曲を作ったのはギターのけんじろうくんなんですけど、歌詞が上がってきた時も何も手直しなんてしていないし、むしろ「脚本をもとにここまで書き上げてくれてありがとう」という気持ちだったので、何か映画のために無理したとかもまったくなかったです。
映画の最後に私たちの主題歌が流れますが、
ライブハウスの爆音と映画館で聴く爆音って解像度も迫力もまったく違ってくるので、同じ曲だけど異なる聴こえ方がするような、面白い体験ができると思います。

 

―最後に野田監督にお聞きします。この作品は特に現役の学生の方や十代の方に刺さる部分、どこか自分を重ねられる部分が見つかる映画だと思いますが、観客の皆さんにどんなことを感じてもらいたいでしょうか?

野田:クラスメイト役で出演してくれた子たちが、本当にコロナ禍で学校生活を制限された学生さんたちだったんですね。今回、9月20日(水)の上映後にトークショーで来てくださる方も今年の3月に高校を卒業したアーティストさんなんです。コロナ禍でここまでガラリと変わった学生生活を十代で送っていたので、中には遅れてしまう子もいると思うんですね。ストレスが溜まってしまう子もきっといるでしょう。知らない間にいろんなことが遅れていて、「コロナ禍、結構大変なことだったんだ」と後で気づいたと口にしていた子もいました。コロナ禍を生きてきたってことだけで、みんな偉いんです。自分をもっと褒めてもらいたいなと思います。

 

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