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【インタビュー】Fuku Spo – アビスパ福岡/小田逸稀

DF 小田逸稀(背番号16)

今こそ、覚醒のとき。

今年のアビスパ福岡は何かが違う。

J1リーグで3位まで浮上するなど、

誰も予想していなかった事態が起きている。

今季から加入した小田逸稀もその立役者の一人。

ここに来て水を得た魚のように躍動する彼の素顔に迫る。

 

取材・文/岩井咲里香(編集部)


可能性を感じたセレッソ戦

 

「適材適所」という四字熟語があるように、人にはそれぞれ輝ける場所がある。特にサッカー選手にとって、どこで、誰とプレーするのかが、その後の人生を大きく左右すると言っても過言ではない。

 

宮崎キャンプ真っ只中の1月26日。小田逸稀が鹿島アントラーズから完全移籍加入することが発表された。

 

「去年、レンタル先から鹿島に戻りましたが、手応えを掴めなくて。『今年こそは』と意気込んでキャンプ入りしましたが、自分の立ち位置に悩んでいました。そこでのオファーだったので、即決でした」。

 

 

そんな彼にとって、アビスパ福岡はまさに“適所”だったのだろう。昨季、鹿島アントラーズでリーグ戦に出場できたのは、わずか2試合。しかし、今シーズンは第2節でスタメンに抜擢されて以来、既に左サイドバックとして欠かせない存在になりつつある。第8節・アルビレックス新潟戦では、中村駿のCKに得意のヘディングで合わせ、移籍後初ゴールを決めた。

 

 

サポーターたちもこう口を揃える。「なんでこんなにいい選手を鹿島は手放してくれたんだ?」と。

 

加入後間もない彼をそこまで評価するのには、やはりセレッソ戦での活躍があったからに違いない。昨季までアビスパで共に戦っていたジョルディ・クルークスを、敵として迎えた一戦。彼の凄さは福岡サポーターが一番よく知っていた。しかし、その日、彼に仕事をさせることはほとんどなかった。幾度となくマッチアップした小田が、悪魔の左足を徹底的に封じ込めていたのだった。

 

「左足が特に素晴らしい選手っていうことは知っていて、そこを抑えられたら有利に戦えると思ったので、最初の一発目はバチンと行こうと決めていました。それが決まって、自分の流れに持っていけたと思います。相手によって変えますが、一発目はカードを貰わない程度の強さで相手に嫌な印象を与えるようにしています。ただ、マテウス・サヴィオ(柏レイソル)の場合は強めにいくとスルっと抜けられるので、そこは詰めすぎないようにとか、色々と考えて試合に臨んでいます」。

 

 

ヘディングなどの思い切りのいいプレーが注目されがちだが、こういった分析も怠らない頭脳派な一面もあるようだ。

 

真っ白なユニフォームに記した、DFとしての覚悟

 

幼稚園でサッカーを習い始め、点を取ることがとにかく楽しかった。憧れは、日本の10番を背負う中村俊輔。中学生になり、サガン鳥栖のジュニアユースに入団するが、3年生の時、監督が変わったタイミングで突然SBにコンバートされたという。

 

「結構点も取ってたし、FWで選抜にも入っていたので、『なんで僕がSBをしないといけないんだ』って、受け入れるまでに時間がかかりました。まあ、SBでもディフェンスのことは任せて、点を取りに行ってましたけどね…(笑)」。

 

 

その後、小学生の頃から行くと決めていた東福岡高校に進学。そこで、サッカー人生の分岐点を迎えることとなる。

 

「高校入学してすぐは、名前を覚えてもらうために“ネームT”を着て練習するんです。真っ白の練習着を買って自分の名前とポジションを書くんですけど、FWとDFのどっちにするか迷って…。悩んだ結果、DFって書いてました。そこでやっと、覚悟が決まった気がします」。

 

県内屈指の強豪校で、彼は2年生にしてスタメンの座を獲得。主力として高校総体、全国高校サッカー選手権大会の2冠に貢献した。

 

「高1から試合に出るつもりで入部したし、同級生で3年の試合に出ている選手もいたので悔しい1年間を過ごしました。でも、2年で試合に出られるようになって、2冠も達成できて! やっぱり頂点からの景色は気持ちよかったですね。また味わいたいです、福岡で」。

 

 

選手権の後、鹿島からオファーを貰い入団が内定。’17年に加入してからは、トップレベルの選手たちに揉まれながら、刺激的な日々を過ごしていた。しかし、なかなか彼の出番はやってこなかった。

 

プロ4年目となる’20年にFC町田ゼルビア、翌年にはジェフユナイテッド千葉へ武者修行に出た。

 

「J1で試合に出られない選手が、J2でも出られないということは全然あります。この2年で、J2では試合に出られるという自分の立ち位置がわかったのは大きかったですね。経験と自信を得て鹿島に戻りましたが、置かれている状況は厳しかったです。試合に出られない時期が続いていたので、筋トレやランニング、自主トレを黙々とやっていました。いつ来るかわからないチャンスに賭けて」。

 

自分の決断は間違ってなかった

 

「今かもしれないです」。

 

サッカー人生におけるターニングポイントは? という質問に、彼は少し考えてこう答えた。

 

「J2でやれる自信はあったけど、J1では試合に出られなくて。ここに来てJ1での自信がつきはじめています。長谷部監督も、自分の長所と短所をよく理解してくれていて、それをしっかり言葉にして伝えてくれるので、やるべきことがより明確になりました」。

 

 

J1でやれるという自信を手にした先に、目指すのはやはり日本代表だ。

 

「同い年の選手も活躍しているし、アビスパで結果を出し続ければ実現できると思っています。そのためにも、ビルドアップの部分を強化していきたいです」。

 

 

常にレベルの高い環境に身を置いてきた彼には、どんなに苦しい状況下でも努力し続けられる強さがある。その弛まぬ努力が日の目を見る日は、もうすぐそこまで来ている。

 

【プライベートQ&A】

Q.今ハマっていることは?

A.読書かな…? 月に5冊くらい読んでいます。自分を高めるために勉強したくて。やっぱり知識って財産じゃないですか! あと、4月から一人暮らしの予定なので、ゲームできるのが楽しみですね。スイッチ入ると止められなくて、10時間くらいやっていた時もありました(汗)。いつもAPEXとかDead by Daylightをしているんですけど、ケネ(三國ケネディエブス)もやっているらしいので、一緒に遊びたいですね。

 

Q.やっぱり佐藤凌我選手とずっと一緒にいるんですか?

A.そうですね。一緒にカフェとかサウナに行ったり、高校に挨拶に行ったり…。(編集部:特に女性サポーターは、2人のストーリーを楽しみにしているみたいですが…?) そうだろうなと思います(笑)。こういうのが見たいんだろうなって、わかってあげてますね。

 

〈PROFILE〉

小田逸稀

ディフェンダー 背番号16

生年月日 1998年7月16日

身長173㎝ 体重68㎏

出身地 佐賀県

中学からサガン鳥栖の下部組織に入団し、東福岡高校へ進学。高校2年の時に高校総体、全国サッカー選手権大会で2冠を達成した。’17年に鹿島アントラーズへ加入後、’20年にFC町田ゼルビア、その翌年にジェフユナイテッド千葉にレンタル移籍。そして今季、宮崎キャンプ中にアビスパ福岡への完全移籍が発表された

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