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【福岡演劇】久留米シティプラザで3月に上演される木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』。主宰・木ノ下裕一氏インタビュー [完全版]

歌舞伎の演目を現代的に解釈しながら、さまざまな演出家による作品を上演するというスタイルで活動する団体・木ノ下歌舞伎。来たる3月の久留米公演に向けて、主宰の木下裕一氏に話を聞きました。


日本の古典文学について考え直すことができる“プラットフォーム”のような存在になれたら。

 

—木ノ下歌舞伎は、歌舞伎の演目を現代演劇に作り替えている点が最大の特徴かと思いますが、一般的な歌舞伎との大きな違いはどこにあるのでしょうか?

 

1番大きく違うところは、歌舞伎俳優さんが演じるわけではないという点です。つまり、現代劇の俳優さんが演じるということなんですね。また、歌舞伎の演目を上演するというと、古典のまま上演するのかと思われますが、現代演劇で活躍してる俳優と演出家を招いて作品を作っているので、自ずと作品自体も非常に現代性を帯びたものになっています。

 

このような取り組みは、珍しく見えるようで意外とそんなこともないんですね。例えば、シェイクスピアのお芝居を現代の演出家が現代的に上演することって、海外はもちろん日本でもよくあります。オペラの演出を新しく現代的に解釈し直すということもよくありますよね。しかし日本の場合、自国の古典を新しく解釈し直すことはそれほど多くありません。なので、歌舞伎となると珍しく感じるかもしれませんが、実はよくあることなんです。

 

 

—歌舞伎と現代演劇を融合させようと考え始めたきっかけは?

 

子どもの頃から歌舞伎や古典芸術全般がわりと好きな方でした。ですが、周りの友だちが古典芸能を好きかというと、全然そうではない。

 

シェイクスピアと比較してみます。『ロミオとジュリエット』と聞くと、シェイクスピアの原作を読んだことがなくても、なんとなくイメージが湧くと思うんですね。「若い男女の恋の話かな」、「最後一緒に死んじゃうよね」とか…。でも、『妹背山婦女庭訓』と言われても、多くの方はイメージが湧かないと思うんですよね。『妹背山婦女庭訓』は日本の人形浄瑠璃文楽の演目ですが、実はシェイクスピアよりも新しい作品なんです。近松半二という日本の作家の戯曲で、同じ国の作品だから本来なら身近に感じるはずのものが、シェイクスピアよりも遠く感じる。そういう状況が、改めて考えてみると非常に特殊に感じたんですよね。

 

もう少し舞台人が古典に対して考えたり、新しく解釈し直したりできるような機会や場所がもっとあってもいいのでは、と学生の頃から思っていて、木ノ下歌舞伎という劇団を立ち上げました。

 

劇団の形態としては非常に特殊で、俳優が所属しているわけではなく、基本的には僕と制作者、文芸部の4名で運営しています。毎回、演出家や俳優を外から招いて、演目ごとに作品をプロデュースしながら作っていくスタイルですので、作品によって作風も変わります。いろんな人に古典と交わる機会と場所をご一緒できればいいなと思っています。

 

 

—木ノ下さんが考える古典戯曲の魅力とは?

 

2つあると考えています。1つは、古典なのに現代の私たちが観ても共感できる部分があるということ。『桜姫東文章』は200年ほど前の作品ですが、それでも「そういうことって現代でもよくあるよね」と共感することができます。

 

そして、もう1つは、現代人の感覚を超越した部分があるところ。それは現代人がなくしてしまった感覚ですよね。

 

共感できるところと、自分たちの感覚を超越しているところ、この2つが共存していることで、古典を通して私たちが今生きている現代の立ち位置が見えてくるんだと思います。

 

 

—木ノ下さんが台本を制作する際に意識していることは?

 

今回の『桜姫東文章』に関しては、台本の作業が複雑でした。というのは、元々200年前に鶴屋南北が書いた原作がありますよね。そこに、僕が「ここはもう少し分かりやすくなるように書き換えた方がいいよね」、「ここは少し長いからカットしようか」みたいな作業をやっていくわけです。この作業を補綴(ほてつ)と呼んでいます。

 

まずは、原作の編集をするわけです。しかしながら僕は、南北の言葉をそのまま編集しているんですね。今度は、これを演出家の岡田利規さんが現代語に翻訳します。上演するのは、岡田さんが現代語訳したものです。つまり、2回台本が大きく変化しているんです。

 

特に気をつけたことは、今回の主役である桜姫を取り巻く状況が移ろう様子をはっきりと見えるようにすること。場面が進んでいくにつれて、その変化を描けるように意識しながら補綴作業に取り組みました。

 

 

—演出家・岡田利規さんを今回お迎えした理由は?

 

以前から岡田さんと一緒に作品を作りたいなとは思っていたんです。岡田さんの作品は僕が学生の頃から拝見していて、『三月の5日間』という作品で、私たちが日常で喋っているような、非常にリアルな言葉が使われているところに驚きがあったんですよね。

 

実際、歌舞伎にもそういうところはあるんですね。今回上演する『桜姫東文章』という作品の大きな特徴は“生世話(きぜわ)”です。「生の世話」と書きますが、リアルな言葉というか、当時の庶民たちが話していた言葉を劇の言葉にしたところが非常に大きいんですよね。『三月の5日間』を観た時に、「これは、生世話みたいだな」と感じたんです。でも、岡田さんの作品は生世話的な面白さだけじゃなくて、様々な魅力があるんですけれども、初めて拝見した時は、そういう印象でした。

 

『桜姫東文章』のセリフって大半が江戸時代の口語で書かれています。これって私たちからすれば古語ですが、当時の観客からみれば、別に古語でもなんでもなかったんですね、現代語です。そういった歌舞伎の言葉のリアリティを、岡田さんにもう1度取出してもらいたいと思いました。

 

 

—主演の成河さんと石橋静河さんの俳優としての魅力とは?

 

成河さんはジャンルを問わず、様々な舞台で活躍されています。今回、清玄と権助という二役をお願いしていますが、実は文化十四年の『桜姫東文章』初演時も、この二役は同じ俳優が演じているんですよ。優等生と不良という全くタイプの違う役を繊細に演じ分けられる俳優は、成河さんのほかにはいないのではと思っています。

 

石橋さんは、岡田利規さんが演出された『未練の幽霊と怪物』を拝見した際、可憐さを持ちながらも、すごく芯のある居住まいも魅力的で、現代の桜姫にピッタリだと感じました。

 

 

—では最後に、福岡の皆さんにメッセージをお願いします。

 

木ノ下歌舞伎で訪れるのは2回目なんですね。久留米はなにかとご縁がありまして、また今回も公演できることにすごく感謝しております。石橋さんのお父さんも久留米出身ですし、僕が成河さんと初めてお会いしたのも久留米なんですよ。そういう意味でも、久留米で公演ができることはすごく嬉しいなと思っています。しかも大千秋楽ですから、楽しみにしていただければと思います。

 

PROFILE

木ノ下裕一

’85年和歌山市生まれ。小学3年生の時、上方落語を聞き衝撃を受けると同時に独学で落語を始め、その後、古典芸能への関心を広げつつ現代の舞台芸術を学ぶ。’06年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行なう木ノ下歌舞伎を旗揚げ。渋谷・コクーン歌舞伎『切られ与三』(2018)の補綴を務めるなど、外部での古典芸能に関する執筆、口座など多岐に渡って活動中

木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』

▶チケット発売中

3月4日㊏15:00、5日㊐13:00

[会場] 久留米シティプラザ 久留米座

[料金] 一般4500円 U25(25歳以下)3000円 高校生以下1000円 ※高校生以下およびU25チケットは入場時要証明書提示、未就学児の入場不可

[原作] 鶴屋南北  [監督] 木ノ下裕一

[脚本・演出] 岡田利規

[出演] 成河、石橋静河、武谷公雄、足立智充、谷山知宏、森田真和、板橋優里、安部萌、石倉来輝

[お問い合わせ] 久留米シティプラザ [☎] 0942-36-3000

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