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【福岡肉本2022】筥崎宮の参道にあった一軒の屋台。福岡焼鳥の始まりどころ『藤よし』

人口あたりの焼鳥店の数が日本一といわれる福岡のまち。福岡の焼鳥を紐解くにあたって、はずせない店がここ『藤よし』である。

 

戦後、筥崎宮の参道に誕生した1軒の屋台。その屋台が店舗になり、西中洲にも店舗を構えた。焼鳥一筋の父と和食の世界に魅せられた息子。創業60年を超えても進化を続ける老舗を追った。

 

今から70年以上前、筥崎宮の参道にあった『藤よし』の屋台

 

筥崎宮の参道にあった一軒の屋台から福岡の焼鳥文化がスタート!

始まりは昭和24(1949)年、故・早川清一さんが構えた一軒の屋台だ。新潟出身の清一さんは、戦前の満州に渡り、終戦後、博多港に引き上げ、筥崎宮の参道でスズメや鶏を串にして焼く、”焼鳥”を提供する屋台を始めた。

一般的に焼鳥といえば、鶏肉だが、福岡では豚肉や牛肉、内臓系なども提供されている。このルーツは、一説によると清一さんが満州時代に覚えた料理を屋台で提供したことに始まるとも言われている。

 

1954年に店舗を構えた『藤よし』は2020年4月、高齢化により一時閉店

 

屋台を開いて5年後の昭和29(1954)年には屋台から店舗となり、『藤よし』は、さらに人気を集めていった。一方で人手が足りなくなり、9人兄弟の長男だった清一さんは、20歳ほど離れた末っ子の鴻之輔さんを新潟から呼び寄せたという。

 

西中洲店オープン当初の初代店主・鴻之輔さん

 

昭和30(1955)年に博多にやってきた鴻之輔さんは、清一さんのもとで経験を重ね、昭和36(1961)年に暖簾分けによって自身の店となる『藤よし 西中洲店』をオープンさせた。以来、60余年。鴻之輔さんは焼鳥一筋に改革、改良、創意工夫を繰り返し、進化させてきたのだ。

店内には、焼鳥の歴史や部位の説明が掲げられている

 

和食の経験を重ね、父の跡を継ぐ決意

 

現在、『藤よし』の店主は、鴻之輔さんの息子の禎行さんだ。とはいえ、ここに到るまでには順風満帆だったわけではない。「高校を卒業後、私は大阪に出て懐石料理を学びました。23歳の時に親父が病気になっていったん福岡に戻り、『藤よし』に入りましたが、28歳のときに再び大阪へ行ったのです」と、禎行さんは当時を振り返る。

 

二代目店主 早川禎行さん 1970年福岡生まれ。消防団春吉分団の分団長として地域の防犯に取り組むほか、メキシコプロレス「ルチャ・リブレ」のレスラーとしての顔も持つ。

 

32歳で再び福岡に戻り、渡辺通で和食の店『味塊 さだ之輔』をオープン。これまで磨いてきた和食の技を存分に発揮し、旨い魚を出す店として評判となったが、鴻之輔さんが80歳を迎えるタイミングで『藤よし』の暖簾を受け継ぐことを決意。2016年9月に『藤よし』に戻ってきたのだ。

「父は焼鳥一筋、私は和食でやってきました。父の焼鳥と私の和食のどちらも楽しんで欲しいと考え、私が戻ってくるタイミングで改装し、生け簀を設置。焼鳥と和食を融合させた店へと進化させたんです」。

 

生け簀から新鮮な魚を取り手際よく捌く禎行さん

 

禎行さんが戻ってきてからは、毎朝、新鮮な魚介を仕入れに行き、季節の魚料理も提案している。また、冬場はフグやアラのコースも登場するという。

 

一串、一串、丁寧にじっくりと火を入れる

 

大ぶりで食べ応えのある『藤よし』の焼鳥。

べんてんやダルム、ペタなど珍しいものも・・・。(一串165円~)

 

『刺身5種盛』1人前2420円

 

 

雑炊は新潟の郷土料理。

『かに雑炊』(935円)など定番4種と季節限定2種の雑炊が用意されている。

 

「もうすぐ3歳になる息子がいるのですが、『藤よし』の暖簾を受け継いでほしいとは思っています。ただ、私がそうであったように、自分のやり方で進化させてもらえたら…」と、禎行さん。

屋台の誕生から70余年。今なお進化を続ける『藤よし』の今後に期待が高まる。

 

 


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【藤よし】

[所] 福岡市中央区西中洲9-6
[TEL] 092-761-5692
[営] 16:00~OS22:30
[休] 日曜
[席] カウンター27席・座敷40席
[P] なし
カード/可
[HP] https://hakata-fujiyoshi.com

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